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南海地震(なんかいじしん)は、紀伊半島熊野灘沖から四国南方沖を震源とする周期的な巨大地震の呼称。

概要 編集

この付近ではフィリピン海プレート南海トラフユーラシアプレートの下に沈み込むため、たびたびM8級の海溝型地震が100~150年周期で起きている。21世紀中の発生が予想される東海地震東南海地震とならぶ大規模地震として、地質学者・地震学者から注目されている。

ごく近い時期の発生であったものとしては、1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分04秒、和歌山県潮岬南南西沖78km(北緯32度56.1分、東経135度50.9分、深さ24km)を震源として発生したM8.0の昭和南海地震がある。この地震は1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1000名を超える死者を出した4大地震(鳥取地震三河地震東南海地震)の一つである。

昭和南海地震では、地震発生直後に津波が発生し、主に紀伊半島・四国・九州太平洋側などに襲来した。地震や津波被害が激しかった地域は、高知県中村市(現四万十市南部)、須崎市高知市のほか、和歌山県串本町海南市などであった。四万十市では、市街地の8割以上が地震動で生じた火災等により壊滅したほか、串本町や海南市は津波による壊滅的な被害を受けた。死者は、行方不明者を含めて1,443名(高知県679名、和歌山県269名、徳島県211名)、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸に及んだ。

なお、南海地震は過去1,000年余りの地震活動の記録が残されている世界的にも例をみない地震である。

歴史編集

※日付は全て新暦表記。

  1. 684年11月29日 白鳳南海地震 - M 8.0~8.3、死者多数。亥時(午後9時~11時頃)になって大地震があった。土佐で津波により大きな被害。伊予温泉(道後温泉)は埋没して出なくなり、田園(約12km²)が海面下へ沈下。これは『日本書紀』天武天皇13年の南海地震の最古の記録である。地質調査によればほぼ同時期に東南海東海地震も発生。
  2. 887年8月26日 仁和南海地震 - M 8.0~8.5、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり。地質調査によればほぼ同時期に東南海東海地震も発生。
  3. 1099年2月22日 康和南海地震 - M 8.0~8.5、死者数万と推定。土佐で津波により大きな被害、田千余町(約1,000ha))みな海に沈む。興福寺西金堂・塔小破、大門と回廊が倒れた。摂津天王寺回廊倒る。
  4. 1361年8月3日 正平(康安)南海地震 - M 8.0~8.5、死者多数。摂津・阿波・土佐で津波により大きな被害。摂津四天王寺の金堂が転倒し圧死者が出た。津波で摂津・阿波・土佐に被害、特に阿波の雪(由岐)湊で流失1,700戸、流死60余。
  5. 1498年9月20日 明応地震(東海・東南海地震) - M 8.2~8.4、死者3万~4万人以上と推定。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がる、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流される、伊勢大湊で家屋1,000戸、溺死者5,000人。伊勢志摩で溺死者10,000人、静岡県志太郡で溺死者26,000人など。地質調査によればほぼ同時期に南海地震も発生。
  6. 1605年2月3日 慶長地震東海・南海・東南海連動型地震) - M 7.9~8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者57人。死者1万~2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。
  7. 1707年10月28日 宝永地震(東海・南海・東南海連動型地震) - M 8.6(日本史上最大とされている)の地震。この地震の49日後に富士山が噴火し宝永山(火口)ができる(宝永大噴火)。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余。土佐を中心に大津波が襲った。
  8. 1854年12月24日 安政南海地震 - M 8.4、死者千~3千人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が数ヶ月間止まる。時間差でこの32時間前に安政東海地震が発生している。両地震による死者の合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震は9年間で3,000回近く。
  9. 1946年12月21日 昭和南海地震 - M 8.0、被害は中部以西の日本各地にわたり、死者1,330名、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で4~6mに達した。室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸で1.27m、潮岬で0.7m上昇、須崎・甲浦で約1m沈下。高知付近で田園15km2が海面下に没した。山口県美祢市(旧美祢郡別府村、共和村)では秋吉台麓の厚東川沿いの低地に「口径1~11m、深さ1~5mの堆積地ドリーネが150余発生した[1]」。この地震の2年前、1944年12月には昭和東南海地震が発生している。

脚注 編集

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  1. 浜田清吉, 1957. 秋吉台のカルスト地形. 秋吉台学術調査報告書. 山口県教育委員会

関連項目 編集

外部リンク 編集

テンプレート:日本近代地震

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